1992-06-18 第123回国会 参議院 文教委員会 第8号
先ほどお答えいただきましたように、難問奇間があるということで、高校の教育のレベルを乱すというようなことでなってきただろうと思います。
先ほどお答えいただきましたように、難問奇間があるということで、高校の教育のレベルを乱すというようなことでなってきただろうと思います。
○参考人(岡本道雄君) 具体的に先生がおっしゃいましたように、採点まで大学でというようなところまでは審議いたしておりませんけれども、私が理解しますのは、あの共通テストというものをつくって問題をお使いなさいということが割合安易なことのようにお考えかしれませんけれども、これは実は共通一次試験ができます前の実態というものは極めて深刻でして、難問奇間というものは恐るべきものなんです。
○参考人(岡本道雄君) 繰り返して申しておりますように、今度の改革の主点は、各大学が自由にということが基本でございますので、それで共通テストを使う、使わぬ、どういう使い方をするということも自由だというふうに申しておりますが、それなら、共通テストというのは一体何だということなんでございますけれども、これは、いわゆる難問奇間というものが大きな社会問題になった時代がございますですね。
私は、一回一発のペーパーテストだけで、難問奇間と言われるような入学試験を突破しておったころと比べますと、そうしてきちっと、これはこれ、これはこれというふうに目的を決めて、その総合結果で判断されることの方が受験生にとっては、ちょっと幅広く奥深くその人のすべてが選抜の対象になるわけでありますから、先生おっしゃるように、やめてしまってもとへ戻してという発想じゃなくて、何とか一歩前進二歩改革でいいテストにしていきたいものだと
したがって、難問奇間が出る。これを解消していくために、なるべく大学が独自に選択するのは少ない部分にして、ある面では機械的にやってもそう大差ないという部分については統一試験をやって、そしてそれで各大学の負担を軽くしよう。
最初先生も御指摘になったように、私も申し上げましたが、一期校、二期校の格差がなくなるとか難問奇間がなくなるとか、塾へ行って忍術のような受験技術を身につけないとなかなか受からないとかいろいろなことを言われました。けれども、そういったことをやっておったのでは学校教育が正常化しない。だから、学校教育でまともに勉強しておればクラブ活動も部活動もいろいろできる。
ですから、今日まで、例えば入試制度が、あるいは受験地獄、あるいは難問奇間というような形で出てきた。これも一種の荒廃状況ですね。それを手直しをしたけれども結果的にはまたほかのものにこう出ていくということで、なかなか、一つのものをとらまえて、それを改善してもすべてがうまくこうつながっていくとは限らない。人間の社会、人間の生きていく中の難しさ。
○政府委員(宮地貫一君) 共通一次の導入の趣旨というようなお尋ねかと思いますけれども、基本的な点で申し上げますと、同一の試験問題で一斉に実施する共通一次ということで、一つには、それまで個々の大学の入試が非常に激烈化して、難問奇間というようなことで高等学校教育が乱されるということが言われたわけでございますが、適切な試験問題を出題するということによりまして難問奇間を排除するということ、それから高等学校における
○佐藤昭夫君 大臣の答弁の中にも難問奇間がなくなってまいりましたと、この共通一次テストによって入試地獄が緩和の方向へ進んできたという一つの例としてそのことが言われていますけれども、しかし、どうでしょうか。
○国務大臣(小川平二君) 共通一次試験は全国的に見まして、従来見られましたようないわゆる各大学の入試問題の難問奇間が少なくなってきておる。それからまた二次試験につきましても科目数が減ってきている、小論文、面接あるいは実技等を課すものが出てきておる、これは一定の成果であると私は考えております。そのようなものとして評価されておると思っております。